1つの可能性

ここ数年で

「『多様性』を受け入れる」

そういった社会の枠組が

大きく発展してきた

 

だがそれと同時に

「『多様性』を受け入れろ」

といった圧力をかける人達が増えてきた

 

価値観は人それぞれだ

それこそが多様性だというのに

少数派を受け入れない人間は悪だ

と言うような主張が散見される

 

人はなにも学ばない

 

正義感を持つ者はいても

果たしてそれは正義なのか?と

判断する者が少ないのである

 

物事は多面的に捉えなければならない

 

例えば

 

男が人を殺した

 

この一文を見ても

その事実しか見えてこない

 

なぜ殺したのか?

事故か

復讐か

怨恨、強盗、あるいは依頼されたか

 

もしかすると

男は酷く飢えていたかもしれない

 

もしかすると

男は悲しんでいたかもしれない

 

見えない事実は多い

 

1つの角度から得られる情報は限られている

ありとあらゆる可能性を考慮し

さらに

その可能性を『可能性として留める』

 

ただの可能性に過ぎないからだ

 

そういった考え方こそが

真に多様性を受け入れる

 

そう私は考えている

 

話を戻すと、

多様性を受け入れられない人間にも

なにか理由があり

それを考える必要がある

 

理解はいらない

知ることが大切なのである

 

自分と考え方の事なる人間同士が

その考えを分かち合うのはとても困難だ

必要なのは『余裕』

行動する前に考える『時間』

 

分かりやすく言うと

 

宝くじが当たって欲しい

 

1等が欲しい

 

当たるといいな

買ってないけど