嫌嫌
嫌なことや辛いことがあっても、
俯瞰して考えられるようになってきた。
大人になったなぁ。
なんて思っていたけれど、
大人の定義ってなんだろう。
こんな事を考えるのは子供だろうか。
けれど気になって調べてみた。
『物の考え方や態度などが成熟していること』
『成人としてふさわしいさまであること』
曖昧な答えしか返ってこないのは、誰も分からないからだろうか。
結局は判断する人の匙加減という所か。
という事は、自分が大人だと思ったから、
私は大人なんだろう。
頑張って大人になったから、
来年はサンタさんにプレゼントを貰おう。
黙祷は夢の中で
夜勤。
出勤は遅く、退勤は早い。
なんて素晴らしいんだろうか。
そんな夜勤にも、大敵がいる。
草木が生い茂る頃、奴らは来る。
蚊だ。
仕事が一段落し、仮眠室に入る。
ベッドに横になり、灯りを消す。
するとどこからか聴こえるあの羽音。
寝れない。
今寝てしまえば、翌朝苦しむだろう。
昔から蚊に刺されると人より腫れる体質。
やられる訳にはいかない。
やられる前にやるしかない。
消した灯りを再び灯し、探す。
神経を研ぎ澄ませ、周囲を見渡す。
見つけた。
壁に止まり休むあいつを。
こちらは休めぬと云うのに。
許せない!!!!!!
目を離すものか。
命途絶えるその時まで。
上げた平手を振り下ろす。
壁に向かって、強く、早く。
また1つ、生命を奪ってしまった。
弱肉強食。自然の摂理である。
さて、寝るか。
知ってる天井
病に敗れ羽毛に沈む私は、
見慣れた天井を見上げていた
なにもせずに過ぎ行く時間を
久々に噛み締めながら、
無力を憂う
秀でた力も特殊な経験も無く
平々凡々な自分が、
他者の努力を横目に生きるだけ
ならば動けと、私の良心が言う
だがお前も知ってるだろう
何度努力をしても、
周りは自分を追い越し、
振り向きもせずに離れてゆく。
私は所詮、顔も描かれないような
背景の人間だから。
そんな言い訳をしていたら、
ほんの少し羽毛が重くなった。
見慣れた天井はまだ私を見下していた。
ダメなヤツ
僕は昔、絵を描く事が好きでした。
小学生は自由帳に漫画を描き、
中学生はオタク女子に以来されて日番谷冬獅郎を描いていた。
高校生の頃から描く頻度が減った気がする。
絵が嫌いになったんじゃない。
自分より上手く描く人達が周りに溢れている事に気付いたんだ。
自分が描いた絵はいつも不格好で、
似たような構図で、
誰かの劣化版でしかなかった。
僕はいつも、何かを極めるのが苦手だ。
絵も、歌も、楽器も、写真も、ゲームも、
全部人より劣っていて、
突出している部分なんてなかった。
褒めてくれる人はいたけれど、
劣等感は拭えなかった。
もっと褒められたいし、認められたい。
でもどこかで心が折れるんだ。
自分より優れている人が、自分より努力している事なんて分かっているのに。
いつまでもダメなヤツだな君は。
僕らはみんな壊れてる
『常識』
生きる上で避けては通れないものである。
しかし、
常識とは一体だれが決めたのだろうか。
この世に生を享けたその日から、
今日この日まで、
「当たり前」、「普通」といった曖昧な基準で評価され、また、評価してきた。
恐らく、この世の大多数の共通認識として育まれてきた価値観であろう『常識』は、生きていく上で必要不可欠な存在でもある。
時にはその言葉に苦しめられたものだが、
これまでの人生を振り返ると、『普通では無い人』に多く出会ってきた。
もしかすると、普通では無い人の方が、この世の大多数なのではないだろうか。
人は皆、異なる文化を持っている。
テレビでは自国と他国を比べ、その違いを面白おかしく紹介している。
国内でもそうだ。都道府県、世代、性別。
環境が異なれば、文化の違いがあるのは当たり前なのに、液晶に映る人達は、その違いに驚き、笑い、時には否定していた。
きっと文化の違いは、個人間でも同じことではないだろうか。
同じ土地に住み、同じ言葉を使っていたとしても、全く同じ環境で生きている訳ではない。
関わる人や、所属するグループによって大きく変わるのが環境だ。
文化と言うと、少し大袈裟に感じるだろうか。
例えば、バスタオルを洗う頻度。
毎日洗う人がいれば、1週間以上洗わない人もいる。
それは生まれ育った家庭や、学んできた衛生観念で異なるだろう。
そういった小さな違いが積み重なったものが『異なる文化』であり、『個人』なのである。
多様性が受け入れられる現代。
人種やジェンダーだけでは無く、『常識』も多様性として受け入れるべきなのかもしれない。
自分が常識と思っている文化は、隣にいる人にとっては非常識なのかもしれない。
多様性の社会では、
自分を疑う事が求められる。
少し話が逸れたが、常識なんてものは一人ひとり異なる価値観である。
そのような曖昧な常識に縛られる必要は無い。
否定された貴方の人生は、否定した人間の価値とは異なるものだった。
それだけなのである。
普通では無い人間などいない。
いや、普通な人間などいないのである。